▲先日引退したママ犬カーラ号(右)とのツー・ショット!
日本は、極めて高度に発達した生産と流通のシステムを有している一方で、犬や猫、自然との共生における後進性を遅々として克服できないでいる。
春夏秋冬、四季に恵まれた世界に冠たる日本と言うが、農山村の保護・保全よりも都市と産業の育成・振興に軸足を置いてきた明治以後の歴史の軌道修正は困難を極めている。少子高齢化社会の到来が、更に状況を悪化させていると言っても過言ではない。
このような日本の弱点・問題点は、時折、ドイツと比較して論じられる。例えば、ドイツ等における河川再生計画、あるいは殺処分ゼロの核施設であるティアハイムに関する議論がそうである。
そろそろ、話の本題に移れば、盲導犬育成事業の展望を切り開く上で、日本の犬や猫、自然との共生における後進性の打破は急務だということだ。なぜなら、私には、それが盲導犬育成数が伸び悩んでいる大きな要因の一つと思われるからだ。
日本の近代性を存分に体現している盲導犬育成団体の諸施設。しかし、一歩外に出れば、働く犬達への無理解・偏見は未だに巷に満ちている。その姿は、正に、日本社会の持つ矛盾の反映だ。それが、盲導犬を希望する人達に二の足を踏ませているとすれば由々しき事態である。また、それが、盲導犬デビューのハードルを不必要に上げているとすれば実に残念なことである。
私は、今、犬や猫、自然との共生における日本の後進性の打破というテーマに関して大いに語ることが必要だと思う。多分ではあるが、少子高齢化社会では、盲導犬ユーザのサポートのある部分は各家庭から地域社会へと移行せざるをえないだろう。また、迫り来る日本の亜熱帯化は、働く犬の生活と命に優しい社会の構築という課題をも浮上させるかも知れない。仮に、日本的な矛盾の克服が遅れれば、ちょっとだけ今より高次な次のステージへの移行が進まなければ、盲導犬育成の困難性は更に増す。そういう推論は十分に成り立つ。
私は、そう難しいことを言うつもりはない。働く犬達のデビューを喜び、働く犬とユーザとに「頑張って!」の眼差しを注ぐ世間が当たり前になること。高度に発達した生産と流通のシステムに恥ずかしくない<犬や猫、自然と共生する社会>に多くの人がもう一歩近づくこと。それが願いだ。
そういう社会であることに十分な確信があれば、響号がキャリアチェンジしても何の心配もない。そういう社会であれば、盲導犬育成に関わる組織と世間との関係は、今以上に緊密で今以上に交流と信頼に満ちたものになるだろう。そんな気がする。
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